フォードは農場を経営するアイルランド系移民ウィリアム・フォードとメアリの子として1863年7月30日にミシガン州ディアボーン (Dearborn)で生まれた。
6人兄弟の長男であったフォードは、幼少期から機械いじりを趣味としていた。12歳の頃には、自分で設備を整えた機械整備店でほとんどの時間を費やすようになった。フォードは15歳で、自力で内燃機関の組み立てを行った。
1879年フォードは家を離れ、近くの都市デトロイトに見習い機械工として就職した。二社で働いた後、見習い期間を終えたフォードは、ウェスティングハウス社にガソリンエンジン工として就職した。1888年にはクララ・ブライアントと結婚し、製材所経営によって経済的安定を得た。
1891年にはエジソン照明会社の技術者となり、1893年にはチーフ・エンジニアに昇進した。これによって、フォードは内燃機関の個人的な実験に、十分な時間と金銭を費やすことが出来るようになった。幾多の実験の末、1896年7月4日、フォードははじめての自作4輪自動車の製作に成功し、試運転を行った。この年、ヘンリーはパーティ会場で尊敬するエジソンに初めて会い自分の自動車への夢を熱く語り、エジソンはそんなヘンリーを励ましたという。
この自作4輪自動車の成功の後、フォードはエジソン照明会社を退社し、他の起業家とともにデトロイト自動車会社(Detroit Automobile Company)を創業。副社長兼チーフ・エンジニアに就いた。
フォードは自社の自動車が優秀であることを見せるために、他社の自動車との競走に力を入れた。フォードが車の販売より設計の改良に熱心だったため会社はほどなく破産する。
フォードは1900年、二番目の会社となるヘンリー・フォード・カンパニーを設立、出資者の要請でヘンリー・リーランドも会社運営に加わる。フォードはこの時期も、アレクサンダー・ウィントン(米国初の自動車製造販売会社ウィントン・モーター・キャリッジ・カンパニー創業者)らとレースで競い合っている。そうするうちフォードは1902年、リーランドを含む他の共同起業者たちから社を追われた。フォードが去ったあと、この会社はキャディラックと社名を変更している。